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ベル・フックス(里見実監訳)、新水社、2800円と税金。
アフロアメリカンのフックスは、フレイレの影響下にあるフェミニズム文芸批評家。その教育論が本書。本書の特質は、「関与の教育」という構想を打ち出していることと、フックスの大学における教育実践の考え方とその一端を語っていることである。
人々は、大学に行くべきではない理由
「関与の教育」=Engaged Padagogyは、自分や他者あるいは社会に関与すること、それらを意識化しそこに変革的に行為していくことを指す概念らしい。より具体的には、学生に自他あるいは社会についての自分なりのとらえ方を語ってもらい、それを相互に学びの資源として対話していき、互いのとらえ方を意識化し、変革的に捉え直すことをめざす教育活動を指しているようだ。
意志ホッブズによって川下
この時、学生たちを主体とした集団を学びの共同体と呼んでいる。学生たちは単に教えられる存在ではなく、また、無色透明な存在でもなく、階級や階層、人種や性、多様な文化の担い手として存在していると捉える。そうした諸属性において多様な抑圧を抱えた存在として捉えていく。そうであるが故に、学びの資源となると捉える。問題は、そうした抑圧の歴史故に、語ることができない学生たちを語ることのできる存在へとケアしエンパワーすることだと捉える。
大学は低授業料に何をしている
ここではさらに考えるべきことがあることを感想として記しておきたい。関与=アンガージュマンという概念だ。おそらく、自己の自由な観点から社会的な問題に積極的に発言・参加しようとするサルトルの概念を引き継いでいると思う。言葉の語義にもう一つ契約という意味があるように、それを相対化することなどさらに検討すべきことがあるように思われる。
なお、本書を見ると、アメリカにおける大学の教育実践がきわめて階層化されていることがわかる。また、米国においても語る学生と語らない学生がいることなどもわかる。大学教育をめぐるある種の偏見が本書を通じてはらい落とされる部分があると思う。
(2006.12.07)
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